山内一弘さん逝去

プロ野球の毎日と大毎(現ロッテ)、
阪神などで強打者として活躍し、
ロッテと中日で監督を務めた
山内一弘さんが亡くなったそうです。
山内さんといえば現役時代の晩年には
われらが広島東洋カープでプレーされた選手。
山本浩二さんと打撃理論をかわし、
高橋慶彦さんの打撃フォーム改造にも
取り組まれた熱い方だったそうです。
ご冥福を祈ります。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090205-00000122-jij-spo

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山内一弘氏死去=強打者、ロッテなどで監督・76歳−プロ野球
2月5日18時16分配信 時事通信


 プロ野球の毎日と大毎(現ロッテ)、阪神などで強打者として活躍し、ロッテと中日で監督を務めた山内一弘(やまうち・かずひろ)氏が2日夜、肝不全のため死去していたことが5日、分かった。76歳だった。愛知県出身。自宅は非公表。近親者で密葬を済ませた。
 愛知・起工高から社会人野球の川島紡績を経て1952年に毎日に入団。「ミサイル打線」と呼ばれた強力打線の中心を担い、60年に本塁打王打点王を獲得して優勝に貢献、最優秀選手(MVP)に輝いた。64年に小山正明投手との交換で阪神に移籍。「世紀のトレード」と言われた。右打者の内角に食い込むシュートを巧みに打ち、16度出場したオールスター戦でも大活躍。「シュート打ちの名人」「オールスター男」と称された。
 68年には広島に移り、70年限りで引退。現役通算成績は2271安打、396本塁打、1286打点、打率2割9分5厘。首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回。
 79年からロッテ、84年からは中日で監督を務めたほか、巨人、阪神オリックスなどでコーチを歴任。熱心な指導ぶりが知られた。2002年に野球殿堂入りした。

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http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw200902060052.html

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山内一弘氏死去 関係者ら、惜しむ声 '09/2/6

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 中日などの監督を務め、2日に死去していたことが分かった山内一弘氏は、現役最後の3年間を広島でプレーした。「打撃の職人」と呼ばれた独自の理論は、後に常勝カープを担う山本浩二衣笠祥雄ら、当時の若手選手に大きな影響を与えた。

 ▽「チーム変えた」「熱い人」

 阪神から移籍1年目の1968年に打率3割1分3厘を残し、球団初のAクラス入りに貢献した。ともに主軸を張った山本一義氏は「山内さんが鉛入りシューズを履いて練習していた姿が忘れられない。カープを変えた人だ」と回想した。

 7つの打撃タイトルを獲得した打撃理論は多くの若手野手に伝えられた。山本浩二前監督は入団3年目の71年に背番号8を山内さんから継承。「試合終了後に夜を徹して打撃を教えてもらったこともある。野球に熱い人だった」と惜しんだ。

 現役引退後は82年秋、83年春季キャンプで臨時打撃コーチに就任。スイッチヒッター高橋慶彦のフォーム改造に着手し、4年連続20本塁打の打者に育て上げた。

 広島では初めて2000安打した選手の獲得だった。松田元オーナーは「職人の打撃理論とともに、生活態度や食生活でも若手選手の模範となり、弱かったチームにプロたるものを教え込んでもらった」と悼んだ。(木村雅俊、日野淳太朗)

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